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11月2日 「信仰が救う」(マルコの福音書5章21-34節)

■はじめに  サッカーや野球といった団体スポーツでは「仲間を信じて戦いました」というコメントをよく耳にします。広辞苑によると「信ずる(じる)」は「正しいとして疑わない」「まちがいないものと認め、頼りにする」という意味があり、信頼や信用と言い換えることもできます。ですので、「信じる」には心の思いだけではなく、それを源とする「ふるまい」も含まれていることがわかります。今日は、イエスがどんなことを信仰と呼んでいるのかをみことばに聞きます。   ■本論 Ⅰ.ヤイロはイエスの不思議な力を信じて、娘の救いをイエスに頼った(5:21-24)  イエスと弟子たち一行はゲラサの土地から、ガリラヤ湖の向こう岸に再び渡ります(21節)。おそらくゲラサに来る前の場所カペナウムだと思われます。一行が着くと、身動きがとれないほど、たくさんの人が集まってきました。ゲラサでは出ていくように願われましたが、ユダヤ人の土地ではこれまでの活動によって、イエスを頼る人が増え続けていたのです。    そこに一人の男がイエスの前に出てきました。その男はヤイロという会堂司でした(22節)。会

10月26日 「イエスはあらゆるものの上に立つ」(マルコの福音書5章1-20節)

■はじめに  聖書には悪霊が人にわざわいをもたらしたり、人に悪を誘惑する出来事がいくつもあります。ヨブに降りかかった災難や、荒野でのイエスへの誘惑、イスカリオテ・ユダの裏切りはよく知られています。あるいは悪霊に憑りつかれた人もいます。例えば、サウル王やアハブ王に仕える偽預言者は悪い霊によって言動がコントロールされました。日本でも憑依とか狐憑きのように悪い霊の働きを表す言葉があります。私たちは目に見えない聖霊の存在とその働きを信じていますけれども、それと同じように悪霊の存在とその働きも認めています。今日は、悪霊の追い出しという出来事をとおして、目に見えないものに対するイエスの権威について聖書に聞きます。   ■本論 Ⅰ.イエスは大勢の悪霊を追い出し、人を苦しみから開放する(5:1-13)  ガリラヤ湖でイエスは、弟子たちの前で嵐を鎮めるというわざを成し、自然をも支配できることを彼らに示しました。その後、イエス一行はカペナウムの対岸にあるゲラサ人(ゲルゲサ、ガダラとも言う)の土地に入りました(1節)。後ほど出て来るように、この土地では食料として豚を飼

10月19日 「地上で罪を赦す権威」(マルコの福音書2章1-12節)

■ はじめに  私たちは時々、祈りの中で戸惑うことがあります。例えば、こんな風にです。「こんなちっぽけなことを神様に祈っていいのだろうか」「こんなことを祈るのは神様に申し訳ない」「いくら神様に祈ってもどうにもならないかもしれない」  神のことをいつも気にかけるのは私たちにとって大事なことです。けれども、私たちが神のご性質や能力あるいはお気持ちを限定してしまうのは、人の分を超えています。今日は「中風の人のいやし」を通して、イエスの権威とあわれみについて聖書に聞きます。   ■本論 Ⅰ.イエスはご自分を疑いなく信じて頼る者に罪の赦しを宣言する(2:1-5)  まず1-4節をお読みします。   2:1 数日たって、イエスが再びカペナウムに来られると、家におられることが知れ渡った。 2:2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまで隙間もないほどになった。イエスは、この人たちにみことばを話しておられた。 2:3 すると、人々が一人の中風の人を、みもとに連れて来た。彼は四人の人に担がれていた。 2:4 彼らは群衆のためにイエスに近づくことができなかった

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