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12月22日 クリスマス礼拝 「インマヌエル」(マタイの福音書1章18-25節) 

  • 木村太
  • 2024年12月22日
  • 読了時間: 6分

■はじめに

クリスマスおめでとうございます。皆さんご存じのように、クリスマスは救い主イエス・キリストの誕生をお祝いする日です。ただ驚くことに、今から2000年以上も前に生まれたユダヤ人を私たちはお祝いしています。しかも、一度もお目にかかったこともなければ、しゃべっている声を聞いたこともありません。でも、私たちはキリストがいつも自分とともに生きておられるのを知っています。今日はマタイの福音書からインマヌエルと呼ばれたイエス・キリストについて見てゆきます。

 

■本論

Ⅰ.ヨセフは主の使いのことばをすべて受け入れ、その通りにした(1:18-21,24-25)

 はじめにマタイの福音書と1章について短く触れます。マタイの福音書はイエス・キリストの12弟子の一人であるマタイが書いた書物です。この福音書にはイエスの誕生、弟子たちと過ごした三年間のこと、そしてイエスが十字架刑で死んで墓に埋葬され、三日目によみがえり、弟子たちの前に現れたことが記されています。

 

 マタイの福音書1章ではイエスの誕生が記されています。マタイはまずイエスの系図からこの書を始め、イエスがアブラハムの血筋を引くユダヤ人であること、ユダ民族に属しダビデの血筋を引いていることを明らかにしています。これによって預言書に記された通りイエスが救い主であることを証明しています。

 

 系図に続いてマタイはイエスがどのように生まれたのかを書きました。短くまとめると、ヨセフの婚約者であるマリアは結婚前に聖霊によって子どもを身ごもりました(1:18)。ヨセフはマリアを姦淫の罪で訴えることもできましたが、そうしないでひそかに離婚の手続きを取ろうと考え、彼女の命を守ろうとしました(1:19)。ヨセフの人格がわかります。

 

 そのようなヨセフに主の使いが夢に現れました(1:20-21)。この当時、ユダヤ人は「夢は神からのお告げ」と受け取る習慣がありました。とはいえ、「性的な関係ではなく聖霊によって身ごもった/その子がご自分の民をその罪からお救いになる」というのは、人間の理解を超えています。また、身ごもったマリアを妻として迎えるのも彼にとっては重大な問題です。けれどもヨセフは主の使いのことばをすべて受け入れて、その通り実行しました(1:24-25)。「主なる神を完全に信頼する」このお手本をヨセフは私たちに示しています。

 

Ⅱ.聖霊によって生まれたイエスは救い主であり、インマヌエルである(1:22-23)

 ここでマタイはイエス誕生について彼のことばを入れてきます(1:22-23)。マタイの書き方には特徴があります。それは、見たり、聞いたりしたことをその通りに書いていることです。まるで、撮影した動画をそのまま再生しているかのようにです。けれども、22-23節はマタイ自らの意見です。映画で言えば、ナレーションを入れているようなものです。

 

 マタイはイエス誕生の出来事を「主が預言者を通して語られたことの成就」と言います。すなわち、主なる神が語ったことばどおりにイエスが誕生した、と言うのです。その証拠にマタイはイザヤ書7:14を引用しました。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」イエス誕生の約700年前に主が預言者イザヤを通して救い主の誕生を語ったことがその通りになったのです。

 

 なぜマタイはイザヤのことばが成就した、言い換えれば「神のことばがその通りになった」と言ったのでしょうか。その上、なぜわざわざインマヌエルの意味を書いたのでしょうか。それは、「イエスが神であり、人々を罪から救うお方である。そのお方が自分たちとともにいた。」ということを、この福音書を読む者に訴えるためなのです。

 

 先程も申しましたように、マタイはイエスの12弟子の一人です。イエスは約3年間、福音を伝えながら弟子たちと一緒に旅行しました。マタイはイエスとともに生活し、イエスから教えられ、そして福音を伝える弟子として訓練されました。まさに、イエスと寝食をともにしたのです。3年間の中でマタイは様々なイエスの奇蹟を見たことでしょう。

 

・手(12:9-14)や足(9:1-8)が不自由な人をなおしたり、目が見えない人を見えるようにした(9:27-31)

・5つのパンと2つの魚で5千人を満腹させた(14:13-21)

・水の上を歩いた(14:22-36)

 

 さらに、当時のユダヤ人からすれば、神にしかできないような奇蹟も見たでしょう。

・ヤイロの娘を死からよみがえらせた(9:18-26)

・人から悪霊を追い出した(8:28-34)

・嵐をしかりつけたら嵐が鎮まった(8:23-27)

 

 でも、マタイがこれらを見た時は、イエスが神であり、救い主であることをまだ完全にわかっていませんでした。なぜならイエスが逮捕されたとき逃げているからです。マタイがイエスを神の子救い主と確信したのは、イエスが十字架で死んで墓に埋葬され、3日目に墓の中からよみがえり、弟子たちに肉体を取って現れて、そして天に上げられたのを体験したからです。十字架から一連の出来事を体験して、マタイはイエスが神であること、そしてイエスが語ったことを信じました。イエスが語ったことばの一つ一つが真実であるとマタイはわかったのです。

 

 そして、イエスはこの地上を去る時、弟子たちにこのことを約束しました。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(28:20)」「あなたがたとともにいる」というのは、マタイをはじめ弟子たちからすれば「私たちとともにいる」になります。このことばを聞いて、マタイは「神であるイエスは私たちとともにおられた。まさにイエスはインマヌエルだ。」と確信したのです。

 

 だから、「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これがその通りになった。そして、この書物を書いている今も、これからもイエスは自分たちと一緒にいる。イエスを信じる民と一緒にイエスはいる。これは事実だ。」とマタイは読者に訴えているのです。

 

■おわりに

 イエスは弟子たちと一緒にいたとき、神の力を発揮して彼らをいつも守り助け、彼らの心の支えになっていました。けれども、死んでよみがえり天に戻った今は、天の御国で私たちの住むところを準備しています。ですから、イエスと直接会話したり、イエスを直に見たり、手で触れたりすることはできません。それは弟子たちも2000年後の私たちも同じです。

 

 しかし、だからといって不安になることはありません。「私を助けてくれるイエスは一緒にいない」と思って、心配しながらあるいはおびえながら生きてゆかなくてもいいのです。なぜなら、イエスはインマヌエルであり、「神であるイエスがいつも私たちとともにおられる」からです。人はお金や権力や人脈のような、目に見えるものに安心を求めます。けれども、私たちの目には見えないけれども、神であるイエスがいつもいます。これが私たちの安心です。

 

 私たちは人生という旅をしています。それは毎日毎日がまったく知らないところへ行く旅です。しかし、その旅は決して一人旅ではありません。神であるイエス・キリストがいつも一緒にいてくださるからです。だから、私たちは安心して旅を続けることができるのです。インマヌエルと呼ばれたお方がこの地上に生まれました。それがクリスマスです。

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