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木村太

12月15日「覆いは徐々に取りのけられる」(Ⅱテモテ1:9-10他)

  私たちはものごとをよく観察することで、仕組みを理解します。例えば、毎日月を見ていると、約30日で満ち欠けを繰り返しているのがわかります。あるいは雪虫を見た数日後に雪が降るのを何年も経験したら、雪虫が初雪の目安になります。キリスト教における救い、すなわち「私たちが滅びを免れて、天の御国に入る」というのもこれと似ています。救いはキリストによって完成しますけれども、神は歴史を通して救いの仕組みを明らかにしているからです。

  Ⅱテモテ1:9「それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ」とあります。最初の人アダムとエバが神に背いたとき、神はサタンとの戦いにおいて勝利を約束しました(創世記3:15)。つまり、天地創造のときから神は滅びからの回復を計画していたのです。そして、1:10「今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。」とあります。天地創造からキリストに至るまで、神に関わるすべての出来事は、救いにつながっていることがキリストによって示されました。今日の説教では「キリストによる救い」につながる3つのことがらをイスラエルの歴史から取り上げます。


Ⅰ.神はイスラエルの歴史を通して、祝福と災いの道を明らかにした

  神は「神に信頼し従う者に祝福を与える」この約束を、地上の出来事を通して明らかにしています。祝福とは、人の益や喜びとなることを言います。例えば、災いを免れる、苦しみから解放される、戦いに勝利する、食べ物・子孫・土地が与えられるなどがあります。その例をいくつか見てゆきます。

①ノア(創世記6:17-18):ノアは完全に神に信頼し、神に従って生きていました。一方、地上は悪で満ちていました。そこで神は水で汚れを洗い流すごとく、大洪水によって地上の悪を一掃する計画を立て、「箱舟によってノアの家族を助ける」という約束を結びました。洪水など絶対にあり得ない地域にもかかわらず、ノアは神の約束を信じ、箱舟を造り、そして洪水を免れました。ただ神のことばを信じ従ったノアの家族だけが祝福を得ました。

②アブラハム(創世記12:1-2):神はアブラハムにこのような約束をしました。アブラハムは神の約束を信じて、故郷を離れてまったく知らない土地に旅立ちました。そしてアブラハムは度重なる試練に合いながらも、約束の地カナンで約束どおりイスラエル民族の父となりました。使徒パウロはアブラハムの出来事を通して、「神への信仰によって、神はその人を義と認める」という真理を明らかにしています。

  この後のモーセやヨシュア、士師(サムソン,ギデオンなど)の時代になると、「従えば祝福を、背けば災いを」という仕組みがより明らかになります。しかもラハブのように、イスラエル以外の人々も神のわざを見聞きした結果、神を恐れて神に従うと滅びを免れた、という出来事もあります。つまり、「ただ神を信じ従えば祝福が与えられる」という救いの型を、神は歴史の中で明らかにしているのです。しかも、「まだ見たこともなくこの世の常識からすれば絶対にあり得ないことであっても、だた神の約束を信じ神に従う」これが信仰であることを明らかにしています。


Ⅱ.神は人が神の前に正しくあるように律法と預言を与えた

  さらに神は、神に従うとはいったいどういうことなのかをことばや文字で明らかにしました。それが、律法と預言です。

(1)律法

  神は、人が神に従っているのかを計る基準を与えました。それが律法であり、律法の中心が「モーセの十戒(出エジプト記20:1-17)」です。パウロは、律法は自分の罪を明らかにするもの、いわばどれほど神から逸れているのかを明らかにするためにある、と言います(ローマ7:7)。つまり、律法は正しい方向に人を導くための道しるべと言えます。また、律法は生涯をかけて神を信じなければならないことも示しています。申命記6:7「あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。」とあります。律法は生活のすべてにおいて、神のみこころ、神のことばからずれていないかどうかをチェックするリストです。見方を変えれば、律法は人が正しい道を歩んで祝福を得るために与えられているのです。これも神のあわれみのゆえです。

(2)預言

  預言とは、神によって選ばれた人に、神がことばを預けること、あるいは預けられたことばそのものを言います。ことばを預けられた人は神に代わって世の中にことばを告げるのです(申命記18:18)。ほとんどの場合、預言は「目の前の災いから免れるために、罪を悔い改めて神に従いなさい」といった警告です(例えばエレミヤ11:1-3)。神に背いたら苦しみや滅びに会うのは、律法から明らかだし、これまでのイスラエルの歴史を見ても明らかです。だから、それを知っていて神に背き、災いを受けるのだから、神は放って置いても良いはずです。しかし、神は預言者を通して何度も警告を与えています。これもまさに神のあわれみによります。


  神は出来事を通して「従えば祝福を背けば災いを」という救いの型を明らかにしただけではありません。律法と預言ということばによって、神に従うとはどういうことなのか、神に背くとどうなるのかをはっきりと示してくださっています。今、私たちは聖書によって滅びから免れる方法を知ることができています。聖書を読めるのも、まさに神からの恵みなのです。


Ⅲ.神は律法で定めた儀式の中に、怒りをなだめる方法を明らかにした

  神がモーセに与えた律法の中には、儀式のための定めがたくさんあります。例えば、幕屋の作り方、祭司の装束、儀式の方法、年3回の祭りの規定などです。その中で、犯した罪を償う方法が定められています。いわば、犯した罪を赦してもらうための儀式のやり方です。神の感情から見た言い方としては、「罪に対する怒りのなだめ」と聖書では呼んでいます。

  例えばレビ1:4,5のように、儀式には犯した罪の種類(意識的に犯したもの、無意識的に犯したものなど)によって怒りをなだめる品物、いわゆるいけにえと、神と罪人との間をとりなす祭司が必要です。一般の人々が「これで赦してください」と自分勝手にささげものを祭壇に持って来ても罪は赦されません。ここで大事なのは「それがその人のための宥めとなり、彼は受け入れられる。」にあります。5節「ほふる」というのは動物の体を切り裂いて殺す行為をいます。つまり、いけにえのいのちが、罪人の代償となるのです。よくドラマで犯罪者が「一生をかけて罪を償います」と言いますが、律法では「私が差し出すいけにえのいのちによって、私の罪を償います」となるのです。

  ただし、この方法ですべての人のすべての罪を赦すというのは、不可能です。なぜなら、罪とは神に反する行為だけではなく、心の思いも含まれるからです。例えば十戒の十番目の戒め「欲しがってはならない」は行動ではなく内側の思いが戒めの対象になっています。だからこの世に生きている限り、罪の償いをするためには、無限といっていいほどのいけにえが必要なのです。また、律法の定めた方法では特定の地域で、しかも祭司しかとりなしはできませんので、そこに行けない人は罪を赦されません。人間の手段では完全な罪の赦しは絶対にできないのです。

  しかし、神ご自身がそれを成し遂げてくださいました。神ご自身が完全ないけにえをささげてくださり、そしてどこにいても永遠にとりなしてくださる祭司をささげてくださったからです。そのお方がイエス・キリストです。そのことをヘブル人への手紙ではこう示しています。「また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。(ヘブル9:12)」この世の手段では絶対に赦しが得られないことを私たちが知るとき、イエス・キリストをささげてくださった神の深いあわれみに気づくのです。



  最初の人が神に背いたとき、創世記3:15のように「人はサタンに勝利する」という約束を神は告げました。神は罪を犯した人をすべて滅ぼして、リセットしてまた人を造り直すこともできたはずです。でも、神はご自身のあわれみのゆえに、何とかして人を滅びから免れさせ、再び永遠の平安、喜び、満たしを持つ者になって欲しいのです。それで、「イエス・キリストによる救い」という隠されていた奥義を地上の出来事を通して、少ずつ明らかにしてゆきました。ただし、明らかにされたことは、パズルのピースのように、それだけでは何を意味しているのかはよく分かりません。しかし、キリストという鍵によってそれらのピースをはめ込んでゆくと「イエス・キリストは救い主」という一つの絵が完成するのです。パウロは律法をはじめ詩篇や預言に精通していました。そのパウロがキリストに触れてキリストの敵対者からキリストを伝える者となりました。まさにパウロがこのパズルを完成させたから、Ⅰテモテ1:9-10のことばを語れるのです。天地創造のときから私たちをあわれみ、救いをご計画していた神に感謝しましょう。

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