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木村太

2月13日「救いと十戒(十戒序論)」(出エジプト記20章1-2節)

■はじめに

 我が家は柴犬を飼っているのでテレビやYoutubeで犬の番組をよく見ています。中でも保護犬と一緒に暮らすのを扱ったものを見ることが多いです。保護された犬のほとんどは人に対して怯えていますから、まず人の方から歩み寄っていきます。とにかく、人への恐怖心を取り除き、「飼い主は自分を守ってくれる存在」という安心を持ってもらうことが最優先です。そして飼い主との信頼関係ができてから、トイレを初めとするルールを教えてゆきます。ルールを守ったら優しくする、という順番ではありません。キリスト教における「救いと神の教えを守ること」もこれと同じ順番と言えます。そこで、「救いと神の教えを守ること」を理解するために、今日から7回にわたってモーセの十戒について宣教します。第1回目の今日は十戒が語られた背景を中心に、エジプト脱出と十戒の関係について見てゆきます。


■本論

Ⅰ.十戒は神と人を愛するためにある

 はじめに十戒について簡単に説明します。天地万物をお造りになった神は人知を越えたわざによってイスラエルの民をエジプトから脱出させました。そしてシナイの荒野においてイスラエルの民と契約を結びました。これをシナイ契約と呼びます。この契約の核心が出エジプト19:5-6に記されています。


「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。(出エジプト19:5-6)」


 一言で言うなら「神の命令すなわちモーセに与えた律法をすべて守り行えば、神はイスラエルの民を神の民と定め、他の民族とは異なる特別な立場と価値を与える」という契約です。例えば、日々の糧を神が与えてくださるとか、民を助けるために神が戦ってくださる、というものです。


この律法についてイエスはこう言っています。

「イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。(マタイ22:37-40)」。つまり、神がモーセに与えた律法は、「神と人を大切にするため」にあります。そして十戒は律法の導入部であるとともに、律法の核心になっています。


 ここで十戒と出エジプト記の対応について見ましょう。

・第一戒(20:3) あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない

・第二戒(20:4-6) 偶像を造ってはならない、それらを拝んではならない、それらに仕えてはならない

・第三戒(20:7) 主の御名を、みだりに口にしてはてはならない

・第四戒(20:8-11) 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ

・第五戒(20:12) あなたの父と母を敬え

・第六戒(20:13) 殺してはならない

・第七戒(20:14) 姦淫してはならない

・第八戒(20:15) 盗んではならない

・第九戒(20:16) 偽りの証言をしてはならない

・第十戒(20:17) 隣人の家やものを欲しがってはならない


 大まかに分けると、第一~第四までは神に対して人はどうあるべきか、つまり神を大切にするための戒めです。続く第五~第十までは他者に対して人はどうあるべきか、つまり人を大切にするための戒めです。ただし、両親は神の代理者なので第五を「神を大切にする」戒めに入れる分け方もあります。


 本来、私たちは神に背く罪のために永遠の滅びに定められています。しかし、神は私たちを大切にするがゆえに私たちを放っておかず、私たちへの怒りを我が子イエスに与えました。それがイエスの十字架です。イエスの死とよみがえりによって、イエスを信じる私たちは滅びを免れて永遠のいのちを与えられました。私たちが自分では絶対に手に入れることができない永遠のいのちを、神が犠牲を払ってまでして私たちに与えてくださったから、神を何よりも大切にするのです。さらに神が人を大切にしているから私たちも自分を含めて人を大切にするのです。ですから十戒は、私たちが神と人を愛しているかどうかのチェックリストであるとともに、神と人を愛するための方法なのです。


Ⅱ.神はあわれみによってイスラエルをエジプトの苦役から解放し、その後で十戒を与えた

 ここで十戒とエジプト脱出について見てゆきます。神はまず、ご自身が民にとって主であること、さらに「民を奴隷から解放したのはわたしだ」、と宣言しています(出エジプト20:1-2)。いきなり戒めを与えていません。つまり、イスラエルの民と神との関係をはっきりさせることが十戒にとって何よりも大事なのです。


 では神はイスラエルの民に何をしたのでしょうか。エジプト脱出から遡ること400年あまり前、ヤコブの子ヨセフはエジプトの王に次ぐ地位にありました。ヨセフが生きている間、イスラエルの民はエジプトでおだやかに暮らしていました。しかし、ヨセフの死後、彼を知らないエジプトの王はイスラエル人を奴隷にしました。なぜなら、彼らは肉体的に強く、おびただしい数になっていたので、「もし、エジプトの敵に回ったらたいへんなことになる」という恐れを王が持ったからです。


 それで王はイスラエルの民を奴隷とし厳しい労働をさせ、苦しめました。イスラエル人は毎日毎日、畑仕事や家畜の世話をさせられました。さらには煉瓦作りという過酷な作業もさせられました。焼け付くような太陽の下、ナイル川の泥を掘って運び、水と切ったわらを混ぜてこね、型に入れてブロックにして、それを運んで天日干しにするのです。重たい泥を扱うのですからたいへんな重労働です。しかし、何よりもつらいのは、どんなに努力をしても奴隷から解放されないことです。自分たちの祖先であるヨセフはエジプトのナンバー2だったのに、自分たちは永遠と思えるほど奴隷が続くのです。イスラエルの民である限り、彼らに希望はまったくありません。


 ついに彼らは神に助けを求めます(出エジプト2:23)。「自分たちの力ではもうどうにもならない。/もうダメだ苦しい助けて」彼らは、ただただうめき、わめき、声をあげて神に泣き叫ぶしかできません。私たちも苦しみのどん底にある時は「なぜ?どうして?」としか口にできないように、極限状態に置かれた彼らには、神に助けを叫ぶしかなかったのです。


 この叫びは神に届きました(出エジプト2:24-25)。おそらく、イスラエルの民はエジプトで奴隷になってから、神を重んじていなかったのでしょう。けれども神は、ただ叫ぶしかできない姿をご覧になり、彼らの苦しみを知り、そこでアブラハムと交わした契約を思い出されたのです。それは「あなたを大いなる国民とし、祝福する」という約束です(創世記12:1-3)。イスラエルの民は神との契約を忘れていたのに、神は覚えておられたのです。


この後、神はモーセをリーダーとして立て、エジプトに10の災いをもたらし、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって何百万という民を導きました。そして最後は葦の海を分けて、イスラエルの民を完全にエジプトから脱出させました。自分の力では絶対に逃れることのできない奴隷から、イスラエルを解放したのは、アブラハム・イサク・ヤコブの神なのです。

 

 一連の出来事から明らかなように、エジプト脱出に関わるすべてのことは神のみわざです。イスラエルの民がエジプトの王に抵抗するとか、エジプト軍と戦うことをさせません。また「これこれをやったらあなたがたを助けます。」といった条件も出していません。モーセを初めとするイスラエルの民はただ神に従うだけでした。これこそが神の一方的なあわれみなのです。つまり、十戒を守ることが奴隷解放の条件ではないのです。神が叫びを聞いて助けてくださったから、神を大切にするための戒めが出されるのです。イスラエルの民からすれば、まず神が助けてくださったから、神を何よりも大切にできるのです。


■おわりに

 私たちもまた、イスラエルの民と同じ神のあわれみを受けています。イスラエルの民がエジプトの奴隷から解放されたように、私たちは罪の奴隷から解放されるのです(ローマ6章)。神は人生の苦しみにもがいている私たちに向かって、苦しみから脱出するための条件を出していません。「あなたが聖書をぜんぶ覚えたら、まじめになったら、悪い考えがなくなったら、善いことをしたら、そうしたらあなたを救います。」と言ってはいません。「神様、どうか私を助けてください。イエスを救い主と信じます。」と告白しただけで、ただこれだけで神は私たちを救ってくださるのです。


 パウロはこう言います。「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。(エペソ2:8)」滅びからの救いは人の努力や行いによって与えられたのではなく、ただ神の一方的なあわれみによります。イスラエルの民にとっても、そして現代に生きる私たちにとっても、まず神のあわれみによる救いが先にあり、その後で神の律法、つまり十戒が命じられているのです。「神の恵みが先にある」これがあるからこそ、十戒を単なる戒めや命令ではなく、感謝をもって受け入れ、行うことができるのです。

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