■はじめに
現代の日本では、ほとんどの会社や学校が1週間のうち最低でも1日を休日としています。それで「休日」の名前通り、仕事や授業から解放されて、心と体を休めるためにこの日を使います。温泉に出かけたり、スポーツで汗を流したり、趣味に没頭したり、家でぼーっとしたり、それぞれが自由に過ごし心身をリフレッシュしています。同じように私たちも1週間のうち1日を安息日と定め、ほとんどの教会ではこの日に集まって礼拝しています。ただ、世間では「日曜日も教会に縛られている」と見られがちです。でも私たちは解放され、心身がリフレッシュされているのです。今日は、十戒の4番目の戒めを通して、「私たちにとって安息日とは何なのか」を聖書に聞きます。
■本論
Ⅰ.安息日の由来:神は6日間で万物を創造し、7日目にみわざをやめて祝福し、この日を聖なる日とした
十戒の四番目の戒めは「安息日に関する戒め/安息日の規定」などと呼ばれています。また、この戒めは8節「戒め」、9-10節「戒めの具体的説明」、11節「この戒めを命じる理由」という構成になっています。まず最初に、安息日そのものについて見てゆきます。
11節を見ると安息日は万物の創造に由来していることがわかります。創世記に記されているように、神は一日目に天と地、光りとやみを造られ、二日目には大空と水を区別し、三日目、四日目と創造を進めて、六日目に動物と人をお造りになりました。「こうして天と地とその万象が完成した。(創世記2:1)」とあるように、神は6日間で天地創造のみわざを完全に成し遂げました。
そして、神は7日目をこのようにしました。「神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。(創世記2:2-3)」ここで使われている「やめる」ということばは「終える/しなくなる/休む」を意味していて、これが「安息日」の語源となっています。つまり、安息日とは神が創造のわざをやめた日なのです。
神はみこころに通りに天地万物を造り、6日間で残すところなく完全に創造のみわざをなされました。そして神は7日目にご自身の働きをやめて、この日を祝福し聖なる日としました。神は7日目を6日間とは異なる特別な日として取り分け、わざによって造られたすべてをご覧になって喜び、ほめたたえる日と定めました。この時から、7日間が1サイクルそして7日目を祝福する日となったのです。
それゆえ神は「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。(20:8)」と命じています。この「覚える」ということばは「記憶している」だけではなくて、「忘れない」ことを示しています。ときどき、高校卒業や成人を記念してピアスを開けた話を聞きますが、これはピアスを見れば何の記念かすぐわかります。それと同じように、七日目を安息日として取り分けることを心に刻んで決して忘れないようにしなければならない、と神は命じているのです。
ここで神は7日間と安息日について具体的に説明しています(9-10節)。 9節「働く/仕事」は「何かに仕える働き、任務」を意味していますから、会社の仕事とか授業のように、自分に課せられたことがらに仕えるのが6日間でのことです。加えて「あなたのすべての仕事をせよ。」とあるように、6日間で自分のなすべきことを終えるようにするのです。ですから、天地創造のごとく「月曜日はこれこれ、火曜日はこれこれ」のように計画性も必要です。
そして7日目は完全に仕事をやめる、すなわち日常の営みから離れて神のための日として取り分けます(10節)。安息日の語源である「やめる」には「思いとどまる」の意味もありますから、仕事が気になっても思いとどまってやらない意志が求められます。また、私たちは他者との関わりの中で生きていますから、すべてが自分の思い通りにはなりません。安息日が危うくなる状況もあります。それゆえ、どんな状況にあっても安息日をどう取り分けるのかに関心を払い、そのために神に祈るのです。
さらに、神は安息日を特定の人にだけ命じてはいません。「あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。(20:10)」とあるように、自分や家族だけではなく、自分とは関係の薄い人たちや家畜にさえも、安息日が命じられています。「自分だけ休んで家族や従業員は働きなさい」でもなく「クリスチャンだけ休んで、それ以外の人は働きなさい」でもありません。この戒めは天地創造に由来していますから、そこから生まれたすべての人が守らなければならないのです。つまり私たちは、自分自身で安息日を取ると同時に、すべての人が安息日を取ることができるように配慮することも求められているのです。
Ⅱ.安息日は神の創造のみわざと救いのみわざを覚える日である
次に「何のために安息日があるのか」を見てみましょう。聖書には安息日を守る理由が2つ記されています。一つは創造のみわざを覚えるためであり、もう一つは救いのみわざを覚えるためです。
①創造のみわざを覚える
先ほど申しましたように安息日はみわざを完成した神の喜びの日です(創世記2:3)。天も地も植物も動物も、神はご自身でお造りになったものすべてを良しとされました(創世記1:31)。一方、現代に生きる私たちは、日々のことがらに追われ神のみわざに目を向けるのが難しいものです。そして人がすべての物を作り、人がすべてを動かしているように見てしまいます。しかし、この世の一切のものは神がお造りになり、神の支配の中にあるのです。そこには6日間でなした仕事も含まれます。日々の労働から解放された安息日には、普段気づかないことに気づかされます。忙しさの中で忘れていた神のすばらしい創造のみわざに気づく時、自分も神によって造られ、神に守られていることを思い起こすことができるのです。
②救いのみわざを覚える
モーセはカナンの地に入る時、十戒を再び民に命じました。それが申命記であり、ここには安息日を守るもう一つの目的が記されています。申命記5:15「あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、【主】が力強い御手と伸ばされた御腕をもって、あなたをそこから導き出したことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、【主】は安息日を守るよう、あなたに命じたのである。」
神は安息日における労働からの解放を通して、エジプトの奴隷解放という救いのみわざを覚えるよう、イスラエルの民に命じました。この「神がイスラエルの民を奴隷から救った」は「イエスによる罪の滅びからの解放」を象徴しています。つまり、安息日を通してイスラエルの民が奴隷からの解放を思い起こすように、私たちも安息日を通して罪による滅びからの解放を思い起こすのです。神はイエスの十字架と復活によって、イエスを信じる者を罪の滅びから解放し、天の御国に入らせます。安息日は日々の労働から解放される日であり、それを通して私たちはキリストの十字架という救いのみわざを覚えるのです。
■おわりに
安息日に神の創造と救いのみわざを覚えることは、私たちに何をもたらすのでしょうか。まずは肉体の休息とたましいの休息です。すべての労働をやめることは文字通り体の休息につながります。また、緊張感やストレスからの解放は精神的な休息にもなります。
一方、現代日本において私たちは、キリスト教とは異なる価値観や倫理観の中を6日間生活していますから、信仰が試されたり、信仰を源としてふるまわなければなりません。それゆえ信仰というエネルギーが日々消費されてゆくのです。ですから安息日において創造のみわざと救いのみわざを覚えることで、私たちのたましいは安らぎを得、信仰のエネルギーが満たされるのです。すべてを造られた神がこの世界を治め、神のおおいなるあわれみによって主がいつもそばにいて、支えてくださったことを知るからです。「【主】は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。(詩篇23:1-2)」と詩篇にあるように、私たちは安息日で体とたましいの休息を得、信仰が補充されるから、次の6日間に進めるのです。
そのために私たちの教会はイエスがよみがえられた日曜日を安息日とし、この日に教会で礼拝をささげています。多様な働き方の日本においては日曜日以外が安息日という方もおられるでしょう。しかし安息日がどの曜日だとしても、「イエスが満ち満ちている教会の中で、日々仕えている事柄から切り離され、神の家族とともに神をほめたたえ、祈り、みことばに耳を傾ける」このことを通して私たちは創造と救いのみわざを思い起こし、安息できるのです。さらに安息日は24時間ありますから、礼拝以外の時間も神と共に過ごすことを忘れてはなりません。ある人は森や海など自然の中に浸りながら神のみわざを覚えるかもしれません。また、ある人は家族や友達と楽しい時間を過ごしながら神を覚えるかもしれません。大切なのは自分の欲望を満たすためではなく、神の創造と救いのみわざを思い起こすために、この日を過ごすことなのです。
ただし、たとえ安息日であっても「善い行い」に制限はありません。なぜなら、人を大切にするのは人を造った神を大切にしていることになるからです。簡単に言えば第一の戒めを守っているのです。だからイエスは安息日でも、弟子が空腹で麦を摘むのを許しましたし、病の者を治しました。「人の子は安息日の主です。(マタイ12:8)」とイエスが言うように、神と人を愛するは常に最優先なのです。
今日一日を通して体と心を休め、神の創造のみわざとイエスによる救いのみわざに目を向けて「信仰」という生きる力を補充しましょう。これが神が定めた人の生き方です。
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