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木村太

4月24日「神とキリストの偉大さを知る」(エペソ人への手紙1章15-23節)

■はじめに

 2020年の年頭から始まった新型コロナウィルスの感染は全世界に広まり、変異を繰り返しながら2年経った現在も蔓延しています。このウィルスにより私たちはこれまでとは全く違う生活となりました。また、2月下旬から始まったロシアのウクライナ侵略は多くの犠牲者と五百万にのぼる難民を生んでいます。しかも国連や国際刑事裁判所のように平和を維持する国際的組織に限界があることも露わになりました。このような状況を見たとき、私たちはキリスト教や地域教会の無力さを感じてしまうものです。しかし神はどんな状況でもこの世界に働かれておられます。今日はすべてを支配するキリストに信頼することをみことばに聞きます。


■本論

Ⅰ.パウロは、信仰者の目が開かれて、あらゆる面で神の偉大さを知るように祈る(1:15-19)

  パウロはローマの獄中でエペソ教会の様子を耳にしました。「主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛を聞いているので...絶えず感謝しています。(15-16節)」とあるように、エペソの教会は異端にさらされている中でも健全な歩みをしていました。それで、パウロは日々の祈りの中で、彼らが信仰を保っていることを感謝しているのです。


 その上で、パウロは彼らのために祈っています(17節)。パウロが願っているのは知恵と啓示の聖霊によって神のことをより深く知ることでした。

①知恵の聖霊:神を知る意欲を起こさせる聖霊の働き。(例:「これを通して神は何を伝えたいのだろう」という思い)

②啓示の聖霊:神のみこころをわからせる聖霊の働き。(例:「あれはこの時のために神が備えた」という気づき)


 この聖霊によって信仰者は18節のように「心の目がはっきりと」見えるようになります。キリストを信じた者はすでに目が開かれています。なぜなら、「キリストは神の子救い主」という真実をわかったからです。でも、寝起きの時のように、目が開いたばかりで神のことはまだぼんやりとしか見えていません。ですから、知恵と啓示の聖霊によって、信仰者は神に目を向け、様々な場面で神の働きに気づき、より一層、神を知るようになるのです。そしてパウロは心の目がはっきり見えるようになって何がわかるようになるのかを3つ挙げています。


 ①神の召しにより与えられる望み(18節):救いに召された者に与えた希望(天の御国の希望、試練から解放される希望...)

 ②聖徒たちが受け継ぐもの栄光(18節):天と地上で約束されたもの(喜び、平安、平和、永遠のいのち...)

 ③神の大能の力の働きによって働く力(19節):奇蹟としか言いようのない出来事(死人の復活、神を否定した者の改心...)


 つまり、知恵と啓示の聖霊が働くと、今まで気づかなかった神の介入と働きに気づき、何となくだっったものがより鮮やかに分かるようになるのです。それによって、クリスチャンは「このお方からどれほど自分を大切にしてくださっているのか」をますます身を持って知るようになります。これが神への信頼と従順を増し加えて、知恵と啓示の聖霊がますます働くようになります。いわば、信仰における良い循環に入るのです。


 私たちにとって信仰告白と洗礼はゴールではなく、この地上でキリストを証しする人生のスタートです。ただし、日々の生活においてはキリストから引き離そうとする力がいつも働いています。それは、不安や恐れ鎮めるために神以外の何かに頼ったり、あるいは神以外の何かに喜びを求める心から生まれます。だから私たちは神がいつも自分を心配し、最善をなしてくださっているのかを知らなければなりません。それゆえ、神を知るための知恵と啓示の御霊が働いてくださるように祈り求めるのです。


Ⅱ.パウロは、キリストがあらゆるものの上に立つ方であること、そしてそのお方が教会に満ちていることを教える(1:20-23)

 続いて、パウロは神とキリストがどれほど偉大であるのかを語ります(20-21節)。神はキリストにおける2つの出来事によってご自身の計り知れない働きを、この世に明らかにしました。一つはキリストのよみがえりであり、もう一つは天に上らせて神の右の座に着かせることでした。「神の右の座に着く」とは、古代ペルシアの制度において君主の右に座す者が君主の代理として国を支配できることを表します。ですから21節にあるように、王や大統領のような目に見える権威者、あるいは他宗教で崇められている神々のような目に見えない権威者の上にキリストは立ち、支配することができるのです。


 ここで大事なのは「よみがえりと右の座に着く」のが目撃者によって事実とされていることです。よみがえりについては先週のイースターで申しましたように4つの福音書がそのことを証言しています。またキリストが天に上げられたのを弟子たちは目撃し(使徒1:9-11)、右の座におられるのをステパノが見ています(使徒7:55-56)。つまり、キリストがあらゆるものの上に立ち、それらを支配できる地位にあることをこの目撃が確かにしているのです。神話やおとぎ話のように架空のことがらではないのです。

 

 さらにパウロはすべてを支配できるキリストの働きについてこう語ります(22節)。パウロはこのキリストがかしら、すなわち司る者として教会に与えられていると言います。パウロがこのように語ったのには事情がありました。この当時、エペソ教会やコロサイ教会のあるアジア地域ではクリスチャンは少数派でした。また、キリストが復活してからまだ30年くらいしか経っていないので、「キリストを救い主と信じれば救われる」という教えも、論理的なものとなっていませんでした。一方で、パリサイ人のように律法による義を主張する集団、あるいはユダヤ教に改宗してからイエスを信じないと救われないというユダヤ主義が主流となっていました。


 ですから、このころのクリスチャンはキリストとは異なる大きな流れに翻弄され、信仰を保ち続けるのはとても難しかったのです。現にパウロはコロサイ教会への手紙でこう書いています。「もしあなたがたがキリストとともに死んで、この世のもろもろの霊から離れたのなら、どうして、まだこの世に生きているかのように、「つかむな、味わうな、さわるな」といった定めに縛られるのですか。(コロサイ2:20-21)」このように、キリストを信じていても異端になびいてしまう者が実際にいたのです。それで、パウロはあらゆるものの上に立つお方が教会におられると語り、教会に集うクリスチャンを励ましたのです。


 その上でパウロは「教会のかしらとしてキリストがおられるから大丈夫だ」という事実をこう語ります(23節)。パウロはキリストと教会の関係を人体の頭と体(胴体)にたとえました。人が動くとき、まず頭が「~しよう」という意志を持ちます。そしてその意志を実現するために頭から各器官へ指令が送られ、それに応じて各器官が動きます。これで意志が実現します。これと同じように、かしらであるキリストに従って、体である教会が働くとき、キリストの意志が実現できるのです。キリストと教会が結びあって初めて教会は健全な信仰を保ち、キリストのわざをこの世に示すことができるのです。


 さらにうれしいことに、「すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられる」とパウロは言います。「すべてのものをすべてのもので満たす」とは、あらゆる不足や不完全を適切なもので満たし完全にする、という意味です。キリストはただ教会に指示を出しているのではありません。教会がキリストの働きをするために、キリストは私たちの驚くような方法で、教会のあらゆる不足を満たし、あらゆる不完全を完全にしてくださいます。そのお方が教会に充満しているのですから、不安や恐れが入り込む隙間はありません。


 つまり、パウロはこう言いたいのです。「あらゆるものを支配する偉大なキリストが教会を導いてくださる。でもそれだけではない。人を救う働きのためにキリストは必要なすべてを満たしてくださる。そのキリストがいつも教会で有り余るほどの働きをなしてくださっている。だから、たとえ異端に囲まれ攻撃されたとしても何の不安も恐れもない。」パウロは、この地上にある教会にキリストの権威と力があることを明らかにして、読者を励ましているのです。


■おわりに

 私たちは神そしてキリストがどれほど力があり、どれほど権威があり、どれほど配慮に満ちているのかを知っているでしょうか。あらゆるものを支配できる権威を知り、信頼しているでしょうか。また、教会にキリストが満ちていることに気づいているでしょうか。目の前の事実だけを見れば「あれが足りない/これがうまくいっていない」という不満だらけかもしれません。しかし、すべてを満たしてくださるキリストがおられます。キリストに従うとき、不安は平安に、恐れは期待に、失望は喜びに変わるのです。

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