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木村太

4月5日「キリストは先頭に立って歩いた」(マルコの福音書10章32-34節)

 2020年は4月12日がキリストの復活を記念するイースターです。また、イースター前の一週間、つまり今週が受難週となります。そして、イースター直前の金曜日は受難日と呼ばれ、キリストが十字架で苦しみを受たことを記念する日です。そこで今日は受難週を迎えるに当たって、キリストがどのような苦難を受けたのかを見てゆき、私たちの罪の深さと神の愛の深さに目を留めます。

Ⅰ.キリストは神のみこころに従ってエルサレムに向かった(マルコ10:32)

 今日の聖書箇所では、キリストが死んでよみがえるために、弟子たちとエルサレムに向かう様子が記されています。

 キリストにとってエルサレムは、十字架での死とよみがえりという、いわば救い主としての役割を果たすための最も大事な場所でした。ただし、キリストの生涯においてはエルサレムは時間的にほんのわずかな場所です。キリストはベツレヘムで生まれ、およそ30歳まではガリラヤ地方にあるナザレで生活し、そしてガリラヤ湖周辺で弟子たちを伴って奇蹟を成しながら福音を伝えました。なぜエルサレムから離れていたのかは、キリストを敵対視する祭司や律法学者、パリサイ人の活動拠点であり、そこでは福音を伝えられないばかりか、常に命の危険があるからです。だから32節のように、先に立って行く姿を見て弟子たちは驚き、ついて行く人たちは恐れを覚えたのです。

 しかしついに神が定めたエルサレムに行く時が来たから、キリストは彼らの先頭に立って行かれました。ここで「すると、イエスは再び十二人をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを話し始められた。」とあるように、キリストはエルサレムでこれからご自身に何が起きるのかを話しました。危険なエルサレムになぜ敢えて行かなければならないのかを説明したのです。救いという視点からすれば、ご自信に何が起きるのかを明らかにすることによって、キリストこそがイザヤ書に記されている苦難のしもべ(救い主)だと知らせているのです。

 想像を絶する苦難が待ち受けていても、神が定めた時が来たからキリストはあのエルサレムに向かいました。キリストは完全に父なる神のことば、すなわちみこころに従ったのです。私たちは苦痛が明白にもかかわらず、神のことばに従うことができるでしょうか。弟子たちの先頭に立ってエルサレムに向かうキリストの姿がそのことを私たちに問いかけています。

Ⅱ.エルサレムでは想像を絶する苦痛が待っていた(マルコ10:33-34)

 キリストはエルサレムで何が待っているのかをこう語りました(33-34節)。不思議なことにキリストは、人々が王としてエルサレムに大喜びで迎えたことを語っていません。なぜならキリストにとっては苦難とよみがえりが最も大事であり、かつ神のみこころだからなのです。では順を追って見てゆきます。


(1) 人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される

 イスカリオテのユダの陰謀により、ゲツセマネの園でキリストは剣や棒を持った群衆、ローマ軍の兵士そして祭司長や長老たちに捕らえられました。しかも逮捕の理由もなしに捕まりました。と同時に「あなたとご一緒します。」と強く言っていた弟子たちは全員逃げて行きました。キリストは弟子たちから見捨てられました。

(2) 彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡す

 キリストは縛られたまま大祭司のところに連れてゆかれ、そこで祭司長、律法学者、長老といった宗教指導者から尋問を受けました。ここでもキリスト以外は全員敵対者であり、キリストを弁護する者は一人もいません。そして彼らは確たる証拠や証言がないまま、キリストのことばが神冒涜に当たるという理由で死刑に定めました。はじめから死刑ありきの一方的な裁判と言っていいでしょう。ただし、イスラエルはローマ帝国の支配下にありますから、祭司たちが死刑に定めたとしてもそれは有効ではありません。なぜなら、ローマの法律に則って裁かれなければならないからです。それで、祭司たちはキリストを異邦人である総督ポンテオ・ピラトのもとに連れてゆき、ローマ帝国の裁判に委ねました。

(3) 異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打つ

 キリストの罪状はユダヤ人の宗教、いわゆる律法による罪ですので、ローマの法律では何ら罪にはなりません。死刑には全く当たらないのです。しかし、ピラトは群衆が騒ぐのを恐れて、法律に則った正しい判断を捨てて、キリストの刑罰を群衆に委ねました。それが十字架刑です。キリストはあれほど慕われていたユダヤ人からも見捨てられたのです。

 ピラトはキリストを懲らしめるために、鞭打ちを命じました。鞭打ちといっても、鞭の先には金属片か魚の骨がつけられているので、どれほどの痛みなのか容易に想像できます。その後、ローマ兵士たちはキリストをユダヤ人の王に仕立てました。もちろん、本物の王として扱ったのではありません。彼らはつばをかけたり、頭をたたいたりして、「イスラエルの王」を自称した愚か者としてキリストをからかいバカにしたのです。

(4)殺す

 十字架刑の場所はエルサレムの町の外にあるゴルゴタの丘にありました。普通、死刑囚は約50kgの十字架の横木を担いで、1kmほどの緩い上り坂を歩いて行きます。しかしキリストは鞭打ちのために衰弱していたので歩くことができなくなりました。そこで、ローマ兵の命令でクレネ人シモンが横木を担いで、ゴルゴタまでキリストと一緒に歩きました。

 いよいよゴルゴタの丘で十字架刑が始まります。受刑者は衣服を脱がされ裸にされた後、木にロープか釘で固定されます。ただし、固定する位置は決まっているので、もしそこに腕が届かなければ、無理矢理関節をはずして腕を伸ばします。釘は手の場合は手首の骨と骨の間に打たれ、足は両足を重ねて踝(くるぶし)から踵(かかと)を貫通するように打たれます。手のひらや足の甲だけだと、肉が割けて体重を支えられないからです。また、動脈をはずして打つので、激痛はありますが出血は致死量に至りません。これだけでも想像を絶する痛みですが、これは始まりです。

 はりつけ状態では、自然と体は下に下がっていきます。しかし、呼吸のためには体を上へ持ち上げなければいけません。手首を支点にして息を吸うために激痛に耐えながら体を持ち上げますが、耐えきれずにぶら下がってしまいます。徐々に手足の力だけで体を持ち上げることができなくなり、呼吸困難に至り、ついには窒息死します。このため死ぬまでは数時間から数日かかります。死ぬ間際まで苦しみ続けるから、「絞首刑のほうが磔よりも小さな刑罰である」と言われるほど十字架刑は残酷なのです。しかも、群衆はキリストをばかにしたり、ののしったりするだけで、誰一人助ける者はいません。イザヤ53:3「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。」とある通りです。まさに、イザヤ書で語られている救い主の苦難がエルサレムでキリストの身にその通りに起きるのです。これがキリストが救い主である確かな証拠です。

 ことばで言い表すことのできない苦しみを受けるために、キリストはエルサレムに向かいます。それが神のみこころだからです。神は人を愛するがゆえに、罪による永遠の滅びから解放するため、罪にさいなむ人生から解放するため、平安と喜びの人生に導き入れるため、私たちの罪への怒りをキリストに向けました。

 そして神のみこころ通り、私たちの代わりに全く罪のないキリストがエルサレムで激しい苦しみを受け死にました。本来、神の怒りによってあの苦しみを受けなければならないのは私たちなのです。だからこそキリストの受難は私たちに罪の深さと神の怒りの大きさを明らかにしているのです。同時に、キリストの受難はどれほど神とキリストが私たちを愛してくださっているのかを明らかにしているのです。神の愛について使徒ヨハネはこう語っています。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 (Ⅰヨハネ4:10)」私たちを罪の滅びから救うために、キリストはエルサレムに向かいました。

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