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木村太

5月15日「すべては空(くう)」(伝道者の書1章)

■はじめに

 現代社会は何をするにも「それにどんな価値があるのか」とか「どんな意味があるのか」を求められます。例えば、自分たちにとって良い結果を得れば「やった意味がある」となりますが、反対に「何の成果も出ない/毎日同じ事を繰り返す/失敗が続く」こういった場合には「意味ない」とか「無駄」という風潮です。それゆえ、人生に空しさを憶えたり、生き甲斐を見失う人々が少なくありません。でも神は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」と語っています。私たちは自分やこの世界の価値観で物事を見ていますが、どうも神はそうではないようです。今日から約3ヶ月に亘って「伝道者の書」を扱います。この書を通して神は私たちをどう見ておられるのかを受け取ってゆきましょう。


■本論

Ⅰ.神を無視し人の営みだけに注目すれば、この世は空である(1:1-3)

 1節は著者の自己紹介です。著者は伝道者という「集会で語る職」に就いています。また「エルサレムでの王、ダビデの子」とあるので、伝統的解釈ではソロモンが著者と考えられています。


 その著者の第一声が「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。(2節)」です。空は息とか風あるいは水蒸気を意味する言葉です。息や風は見えないしすぐに消えるので、空は虚しさ、からっぽ、はかなさ、つまらなさ、つかの間、一時的を表しています。伝道者は「この世のあらゆるものごとは一時的で虚しい」と言い、これが伝道者の書のテーマになっています。そして伝道者は人生にもそれが成り立つと語ります(3節)。


 人は苦痛を伴ってどんなに苦労しても、自分にとって利益にならないし、何も残りません。「喜び、平安、満足」これらすべては一時的であり、はかないものだからです。ここで注目すべきは「日の下で」のことばです。日の下(3,9,14節)あるいは天の下(13節)は、人が生きている地上世界を言います。つまり伝道者は地上のものごとだけに注目しているのです。言い換えれば、この世のあらゆるものごとを見聞きして、日の上すなわち天におられる神抜きで出した結論が「空」なのです。


 ただし、伝道者は神の存在と介入を知らなかったのではありません。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(12:13)」と語っているからです。伝道者は「神を恐れることが最も大事だ」を強調するために、神の視点を無視した結論から説教を始めたのです。


 この書を解説した本にこうありました。「我々の視野がこの地上に縛り付けられている限り、人生に意味や満足を見いだすことを断念することになる。」私たちの人生には「なぜ」があふれています。その答えをこの地上の現象や理屈の中で探しても完全な答えはありません。行き着くところは「空、虚しさ」です。これが神のご支配を無視した結論です。


Ⅱ.自然と歴史が空を明らかにしている(1:4-11)

(1)自然:移り変わっているように見えても循環しているだけ

 ここで伝道者はこの世のすべてが空であることを自然と歴史から説明します(4-7節)。時代が移り変わるスピードで大地を見たら、大地は全く変化していないのと同じです(4節)。一方で、5-7節にあるように、太陽や風や川や海を見れば、移り変わっているのが目に見えます。けれどもよくよく観察すれば、それぞれは元のところに戻っています。つまり、移り変わっているけれども、循環しているから、虚しいのです。人もちりから生まれ、ちりに戻ります。人の生活も変化しているけれども、同じルートをぐるぐると回っているだけなのです。だから8節のように、循環しているから語り尽くすことはできないし、目も耳も満足できません。「すべての事はものうい」とあるように、ただ循環しているだけだからうんざりとなるのです。


(2)歴史:全ては新鮮と陳腐の繰り返し

 さらに伝道者は循環を歴史に見いだします(9-11節)。9節「新しいもの」は新鮮を意味しますから、この世のすべての物事はすべて新鮮ではないのです。新しい物、新しい人、新しい国、初めは新鮮ですが時間が経つにつれて陳腐すなわち平凡になり、人の心を満たさなくなります。やがて消え去り、人から忘れ去られ、後の時代の人はその存在さえ知りません。だから忘れ去られた時に、古いものが出てくると、それは新鮮になるのです。でもそれは過去にあったものだから全く新しくはありません。


 私たちは日々新しい出来事に出会いますが、同じようなことが何回も繰り替えされると、新鮮ではなくなり虚しさが生まれます。「またか」という感情です。「毎日同じ事ばかり/気が付いたらまた同じような道を歩んでいる」そう思うと虚しくなりうんざりです。でも、もし同じ出来事であってもその一つ一つに、神が何らかの目的を持たせているとわかったら、毎回新鮮で虚しさを感じません。それが、神のご支配を信じる人の特権です。


Ⅲ.人の知恵や知識には限界がある上に、それらが増えても虚しさが増すだけ(1:12-18)

 伝道者は再び自己紹介をして(12節)新しい話題に入ります。伝道者は全力を尽くして、この世のあらゆるものごとの理由を探し求めました(13節)。ところがその結果は、神が与えた辛い仕事、すなわち無駄な骨折りでただ苦しいだけ、と告白します(14節)。それはあたかも風をつかむ(追う)ようなことだからです(13節)。


 なぜ世の中のすべてを探求するのが風をつかむような虚しいことなのか、その答えが15節にあります。15節は当時の格言と思われます。最初から曲げられている物を、真っ直ぐにはできません。なぜなら、どこをどんな風に曲げられたのか分からないからです。同じように、失われたものを計ることはできません。なぜなら、初めにどれくらいあったのかを知らないからです。ですから、この格言は知恵や知識の限界を言っているのです。この世には人の知識では理解できないこと、知恵では解決できないことにあふれています。いくら知ろうとしてもきりがないし見つからないから、知ろうとする努力は風を追うようなもので虚しくなるのです。


 さらに伝道者は虚しいだけではないとも語ります。ソロモンが伝道者だとすれば、16節のように、彼は他を寄せ付けないほどの知恵と知識を神から与えられました。それで彼は17節「知恵と知識、狂気と愚かさ」とあるように、善も悪も含めてこの世の中のあらゆる事柄を解釈しようとし、あらゆる問題を解決しようとしました(17節)。


 ところが、その探求は風をつかむような虚しさだけではなく、悩みやいらだちを増す、と伝道者は語ります。やればやるほど、あるいはやってもやっても「どうして、なぜ」とか「これはムリ」が増えるのです。だから、虚しさに加えて、いらだちや苦悶が増してゆくのです。


 私たちの視野が「天の下で行われるいっさいの事」「日の下で行われたすべてのわざ」、すなわちこの地上に留まっている限り、すべてを理解できる知識とすべてを解決できる知恵を手にすることはできません。神を無視した理解や解決には限界があるのです。私たちは人の及ばない神の領域があることを忘れてはなりません。


■おわりに

 神によって造られた私たちが、造り主なる神のお考えをすべて理解するのは不可能です。でも、間違いなく私たちは神のご支配の元で生きているのです。なぜなら、イエスの誕生と十字架での死、そしてよみがえりは、人のために神がこの世界に介入し助けようとしている証拠だからです。だから私たちはイエスに目を向けたとき神の介入に気づき、「すべてのことは神にとって何らかの意味がある」と分かり、虚しさから解放されるのです。


 三笠は雪深い冬が去って花々と木々の緑の季節となり、田や畑の作業が始まりました。毎年同じ光景ですが、これも神が私たちのためになしてくださる働きです。一方で新型コロナウィルスのような疫病の蔓延やロシアのような暴挙は歴史の中で繰り返されています。事実だけを見れば「失望/むなしさ/なぜ繰り返すのか」という思しかありません。けれども「なぜ神は繰り返しをそのままにしているのか」という視点を持てば、人の愚かさや罪深さに気づき、神のみこころにかなった方向に歩むことができるでしょう。伝道者の書はこの世に張り付いた視点を神に向けさせてくれるのです。

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