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木村太

5月21日「信仰によって称賛された人々①神が義と認めた者たち」(ヘブル人への手紙11章1-7節

■はじめに

 本やTV番組では、ある分野において偉人と呼ばれる人の人生を描いた作品があります。例えば、人権や平和の分野ではマハトマ・ガンジー、オスカー・シンドラー、マーティン・ルーサー・キング牧師、マザー・テレサなどは代表的な偉人です。その他にも医療や音楽、スポーツなどたくさんの分野で偉人と認められている人がいます。当然のことながら、彼らは多大な業績や人類への貢献あるいは前人未踏の記録のように特別な何かを成し遂げたから偉人と認められています。では、神はどのような人をすばらしい人と認めているのでしょうか。今日は信仰によって生きた人々と神の評価についてみことばに聞きます。


■本論

Ⅰ.信仰者は「たとえ目に見えないことであっても神のことばは必ずその通りとなる」これを確信している(11:1-3)

 この手紙の著者は、「神のことばがキリストによって実現した」ことを詩篇や預言書を引用して証明しています。それで、神の約束を確信すれば迫害の中にあっても忍耐しながら信仰を保てる、と勧めました。ここで著者は、読者であるユダヤ人の父祖たちの中から、神の約束を確信して生きた者を取り上げます。「しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。(ヘブル10:39)」これがどのような生き方なのかを、読者がよく知っている人物を通して伝えようとするためです。


 1節は10:39を実践している者のことを示しています。この者は、望んでいるものがこの世では決して見ることができないにもかかわらず、「必ずある」と納得し、「すでに手にした」と信じています。これが信仰を持つ者の姿です。ですから、信仰を持つ者は「望んでいるけれども見ることの決してできない天の御国・永遠のいのちは必ず存在する。そして、自分はすでにそれを受け取っている。」これを完全に信じているのです。2節にあるように神はこのような者を称賛しました。言い換えれば真の信仰と認めました。


 ではなぜ1節のことがらが可能なのでしょうか。その答えが3節にあります。この世のものは例外なく「見えるもの」すなわち「存在しているもの」から生まれます。けれども天地創造においてはそうではありません。神は「~あれ」ということばによって天地万物を造りました。つまり、神はことばという実体を伴わないものから、ことばどおりのものを存在させたのです。このことを信じるのが信仰なのです。ですから、信仰を持つ者はたとえ目に見ないもの、人には考えもつかないようなものであったとしても、神は約束したものを目に見える形で実現できると信じるのです。「神のことばは必ずその通りになる」これが望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるのです。


 私たちは実際に見たり聞いたりしなくても、その存在を信じることがあります。言い伝えや文書、絵画、音声、写真、動画のように記録から存在を信じています。ただし、フェイクニュースのように実際にはないものも信じてしまうときがあります。昨年、川が氾濫した映像を合成して、あたかも氾濫しているような映像が流され、多くの人がそれを信じてしまいました。実際に起きうることだから信じてしまうのでしょう。その一方、聖書に記されていることがらは実際の記録なのに、日本では信じない人が大多数です。なぜなら、現代の科学ではあり得ないことがらだからです。これが信仰による違いです。天の御国は存在し、私たちは必ずそこに入れます。神のことばを信じる者はこのことを確信しています。


Ⅱ.神は信仰によって生きている者を喜び、義と認める(11:4-7)

 2節「昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。」とあるように、昔の人たち、すなわち読者の父祖たちの中には神が称賛する信仰の者がいました。それで著者は彼らの生き様を通して、1節の実践例を示します。


(1)アベル(4節、創世記4:1-7)

 創世記4章にはアダムの長男カインと次男アベルのささげ物を神がどのように評価したのかが記されています。創世記を見ると、カインは大地の実りを神にささげ、アベルは家畜である羊の初子の中から肥えたものをささげました。このささげものから神はアベルを正しい人と判定しました。


 創世記では、神がどのような理由でアベルがカインよりもすぐれていたのかを明らかにしていません。推測にとどまりますが、「自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。」とあるように、アベルは手塩にかけて養った中から最高のものをささげています。つまり、自分の手柄ではなく、すべて神の力によるものと信じているから、最上のものをささげることができたのでしょう。一方、カインは神の判定を不服として怒り、その上アベルを妬んで彼を殺しました。神のみこころよりも自分の思いを優先したのです。ここにアダムから始まった罪が明らかになっています。


 ここで大事なのは「何をどのようにしてささげたか」ではなく、神がささげ物を見て正しいかどうかを判断したということです。神は人の心の中をも見通せます。しかし、ささげ物を見て正しいとしていることから、人の内面いわば信仰が行いに出るから神はそれを見たのです。アベルはすでにこの地上にいませんが、創世記に記された彼の記録から、神は信仰から生まれる行いを見ていることが明らかにされています。


(2)エノク(5-6節、創世記5:21-24)

 創世記を見るとエノクは通常の人とは違う仕方でこの世から消えています。「神が彼を取って、彼はいなくなった」ことから、この手紙の著者は神がエノクをある所へ移した、と解釈しています。どこに移されたのかはわかりませんが、確かなのはエノクは肉体の死を味わっていないことです。


 ここで著者はエノクだけが神から特別な扱いを受けている理由を「彼が神に喜ばれていた」からと言います。神はエノクが神とともに歩んだことを喜んでいるから、彼を死ではなく取り去りました。さらに著者は神とともに歩むことについて6節のように説明します。


 エノクは目には見えないけれども神という存在があることを知っていて、その上この方がすべてを治めていてこの方に従えば報いがあると信じていました。言い換えれば、エノクは神に従えば善いことが背けば悪いことがあるとわかっていたから、神とともに歩んだのです。いわば彼は「従えば祝福、背けばのろい」という初めの契約を先取りしていたのです。そしてここでも神は「神とともに歩んだ」という信仰に基づくふるまいを見ています。


(3)ノア(7節、創世記6:13-22)

 著者が次に取り上げたのがノアです。ノアの場合はアベルやエノクと違って、神から直接警告を受けています(7節)。創世記によれば神はこのように警告しています。「地が暴虐で満ちているから彼らを滅ぼし去る/地上に大洪水をもたらして地上のすべてのものは死に絶える(創世記6:13,17)」


 ノアはこの警告を受けたとき、神を恐れかしこみました(7節)。「恐れかしこむ」とは畏敬の念を神に抱くことです。エノクと同じように、ノアは「神の支配と人のふるまいに応じた神の報い」を信じ神を恐れました。それで「地上のすべてのものが死に絶えるほどの大洪水」といった、見たことがないばかりか想像もつかないことでさえもその通りになると信じて、神の指示どおり箱船を造りそれに乗りました。その結果、神の警告どおり箱船に乗った者だけが生き、それ以外はすべて滅びました。箱船というノアの信仰によるふるまいが何が罪であり、何が義であるかを明らかにしているのです。


 著者は神が称賛した者としてアベル、エノク、ノアを取り上げました。この3者に共通しているのは、神が彼らの行いを見て、喜んだり正しい者と判定していることです。先ほども申しましたように、信仰はふるまいに表れるのです。

・目に見えない神がおられる

・神がご自身のお考えによってこの世を治めている

・目に見えないことがら、この世ではあり得ないことがらであっても神の言うことはその通りとなる


 これらを信じていることが人を動かす源になっているのです。信仰は人の内面のことがらであり、目に見えるものではありません。けれども、信仰によって行いが影響されるから、神は行いを見ているのです。いわば、行いが信仰を証明しているのです。


■おわりに

 私たちは神のことばを信じています。「キリストの再臨において審判があり、罪ある者はすべて滅び、キリストを信じている者は天の御国という大きな報いがある。そしてこの世においては、キリストが平安を与える」目には見えないけれども私たちはこのことを確信しています。そこから忍耐と神を愛する行いが生まれているのです。神はそのような私たちを正しい人と見てくださり、喜んでくださいます。

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