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木村太

5月10日「主に立ち返れ」(ホセア書14章)

 人に悪を止めさせる方法は大きく二つあります。一つは懲罰によって心身に苦痛を与えたり、あるいは懲罰の恐れから止めさせようとするものです。もう一つは、どんな悪人であっても尊い人として受け入れて大切にし、それへの安心や感謝から止めようとする気持ちを起こさせる方法です。私たちが崇めている神は罪を決して見逃したりせず、また悔い改めのない罪を赦しません。けれども、どれほど悪い者であっても尊い存在として見捨てず、祝福の道に導こうとします。だから罪を赦された人は、神への感謝から再び罪を犯さない生き方になってゆくのです。今日はホセア書最終章から、悔い改めた者への約束を通して、どこまでも人を大切にする神のあわれみを見てゆきましょう。

Ⅰ.主は北王国イスラエルに悔い改めを勧告し、主との関係を回復する方法を教えた(14:1-3)

 ホセア書13章で主は、北王国イスラエルを徹底的に滅ぼすと宣言しました。これまで忍耐を持って助け続けたにもかかわらず、イスラエルはバアルといった偶像を崇めてますます主に背を向けました。それへの激しい怒りを13章に見て取れます。ただし、主は怒りだけで終わりにしません。主はホセアを通して、イスラエルが主の怒りを受けた後どうすべきかを示します。

 主はまず「わたしに立ち返れ」と命じます(1節)。「主に立ち返る」とは主以外にすがるのを止めて、完全に主を信頼し従う生き方を言います。主はイスラエルの神であり続け、そのあわれみは揺るぎません。主の立っている所は一つも動いていないイメージです。けれどもイスラエルが不義、すなわち主に向かって真っ直ぐ歩むのではなく逸れていったので、向きを変えるように命じているのです。

 さらに主は「立ち返る」ことを具体的に説明します。「あなたがたはことばを用意し、【主】に立ち返れ。主に言え。(2節)」とあるように、「主に向きを変える決意」を言葉に出すのを求めています。新共同訳では「誓いの言葉を携え/主に立ち帰って言え。」と訳されているように、言葉に出すのは約束を結ぶことだからです。主は2つのことがらを誓いの言葉としています。

①2節:悔い改めの誓い

・すべての不義を赦し、良きものを受け入れてください:悔い改めて主に向きを変えた私たちを受け入れてください、という願いです。

・私たちは唇の果実をささげます:「唇の果実をささげる」とは祭壇で供え物をささげる様子ですから、主への誓いを表しています。

 ですからまず最初に「罪からの悔い改めを主に誓います」と約束しているのです。

②3節:主以外に頼らないことの宣言

・アッシリアは私たちを救えません:他国で代表される人に頼らない

・私たちはもう馬に乗りません:軍事や財政など自分たちの力に頼らない

・自分たちの手で造った物に『私たちの神』と言いません:偶像のような空しいものに頼らない

 一言で言うなら「主以外に頼りません」と宣言しているのです。なぜなら、みなしごのように無力な自分たちを助けられるのは主だけだからです(3節後半)。放蕩息子が父を頼って戻ってきたように「どこまでも変わらない主の愛にすがるしかない」これに気づくことが主に立ち返る原点なのです。


 主は北王国イスラエルの評価をゴメルと3人の子どもで明らかにしました。そしてイスラエルの滅びを宣言しました。けれども主が望んでいるのは滅びで終わることではありません。主の怒りによってぼろぼろになっても、彼らが再び主を信頼して従い神の民として回復するのを主は望んでいるのです。だから主は回復の仕方を明らかにするのです。主がどれほどイスラエルを大切にしているのかが、ここからわかります。

 それと同じように、神から造られた人も神を知ろうとせず、あるいは知っていてもないがしろにしています。それゆえ人は例外なく神の怒りによって永遠の滅びに至ります。けれども神は「胸が熱くなるほどのあわれみ」のゆえにキリストを犠牲にして信じる者を赦してくださいます。しかも、滅びから免れる方法を秘密にしてはいません。「十字架刑の死、死からのよみがえり、弟子たちへの出現と昇天」といった事実を用い、さらには聖書によってすべてを明らかにしています。「イスラエルよ。あなたの神、【主】に立ち返れ。あなたは自分の不義につまずいたのだ。」とイスラエルに勧告しているように、私たちにもキリストに起きた事実と聖書によって主に立ち返るように勧めているのです。

Ⅱ.主はイスラエルが神の民として復帰し、主の栄光を表す民となることを約束した(14:4-9)

 さらに主は、主に立ち返ったらどうなるのかを語ります(4節)。「わたしは彼らの背信を癒やし」とあるように、主は背きによって壊れた関係を修復します。なぜなら、滅びという罰を与えた後イスラエルが主に立ち返ったので、彼らへの怒りが完全に治まったからです。11:8「わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者だ。」と語っているように、主は感情にまかせません。人の場合は、悪人が法に基づいて罰を受けて真人間になっても、その人への怒りや憎しみが赦しを妨げます。けれども主は罰を受けて悔い改めたら赦すのです。

 続く5-7節では「彼らの背信を癒やし、喜びをもって彼らを愛する。」このことを具体的に示しています。

①5節:主はイスラエルの活力(露)となり、彼らは繁栄し(ゆりの開花)、国は安定します(根を張る)

②6節:イスラエルが再び主の存在と主の力を世界に明らかにするようになります(成長して輝きと香りを放つ)

③7節:「陰に住む」は、主に従順な人々が主の守りに包まれている様を表しています。また「穀物、ぶどうの木、ぶどう酒」は豊かな実りを象徴しています。つまり、主の陰で生きるイスラエルの人々は喜びと安心に満たされるのです。

 繰り返しになりますが、北王国イスラエルは主への背きを積み重ねた結果、アッシリアによって滅ぼされ、人々は激減した上散り散りになります。けれども罰を受けた後、主の陰に住まうごとく主に委ねることで、イスラエルは完全に復興するのです。そして主は、ご自身がイスラエルを復興させることをこう語ります(8節)。主は「イスラエルを助け養い繁栄させることができるのは偶像ではなく私だけだ」と断言します。さらに「緑のもみの木」が永遠のいのちを象徴するように、ご自身の恵みは尽きないから、イスラエルは主に信頼して歩むことで平和と繁栄がどこまでも続くのです。放蕩息子が父を頼って戻ってきた時、父は彼に一番良い衣、指輪、履き物を用意し、彼が奴隷や孤児ではなくご自分の正当な継承者であることを明らかにしました。そして肥えた子牛を調理して盛大なお祝いを開きました。主から見ればイスラエルはとんでもない民族です。けれども放蕩息子のように、主を信頼し従えばこの上ない祝福が与えられます。まさに主のあわれみは尽きません。

 さて主はこの預言を終えるに当たりホセアにこう語らせます(9節)。「主の道は平ら」とは「主の示すことがらはすべて正しい」を意味します。だから主の道を歩む者は祝福を歩み、主に背く者はイスラエルのように滅びの道を行くのです。そして大切なのは「このことを知っている者が真の知恵者であり、このことを選んで生きる者が真の悟りのある者」ということです。「主はどのようなお方で、主に従えばどうなるのか」これを知って実践するのが人にとって最も大事であり、平安と喜びを生きる唯一の道なのです。

 ホセアに語られた当時、北王国イスラエルは過去に例がないほど繁栄しています。けれどもその繁栄は偶像や他国の軍事力や自分たちの知恵に由来しています。イスラエルの人々からすれば安定していて不安要素はゼロです。しかし、主からすれば彼らは産道の胎児のように生と死の狭間にいるのです。北王国の人々、特に王や祭司などの指導者がホセアの警告を聞いて自分たちの罪を知り、今の生き方を断ち切れるかどうかが問われています。主は彼らを自分たちのやりたい放題にさせて全滅させてもいいのです。けれども何とかして彼らを滅びから救い出したいから、ホセアに警告させるのです。まさに9節のことばは警告であると同時に、祝福を生きて欲しいという主のあわれみから出ているのです。



 天地創造において私たちは他とは違う造られ方でした。「~あれ」ということばではなく、土地のちりで形造られ、神の息が吹き込まれて人という生き物になりました。人だけが神と直接的な関わりを持つから、安心や喜びは神からもたらされるのです。けれども最初の人が罪を犯した結果、私たちは神ではなく自分を含めて人の力や物に頼り、それらに安心や喜びを求めました。それゆえ私たちは例外なく神の怒りによって永遠の滅びに定められているのです。

 一方で神は「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。(11:8)」とあるように、私たちの滅びることが忍びなく何とかして助けたいのです。それで我が子イエス・キリストをいけにえとしてささげて怒りを治め、キリストを信じる者を助けて天の御国に行かせるのです。同時にこの地上の人生では不思議な平安を与えているのです。

 「わたしのほかに救う者はいない。(13:4)/わたしが応え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。わたしから、あなたは実を得るのだ。(14:8)」このことばが真実であることをキリストが私たちに明らかにしました。神は平安と喜びの道を用意していて、私たちがそこを歩むのを願っています。ホセア書はこの神のあわれみを現代の私たちに知らせています。そして、私たちにも主の道を歩むかどうかを問いかけているのです。

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