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7月20日「何という主のいつくしみ」(ゼカリヤ書9章11-17節)

  • 木村太
  • 7月20日
  • 読了時間: 7分

■はじめに

 私たちは困っているときに人に頼ります。ただし、その人について2つのことを知っていなければ安心につながりません。一つはその人が解決できる能力を持っていることであり、もう一つはその人が誠実であることです。例えば、草野球チームに大谷が助っ人で来たら誰もが安心するでしょう。なぜなら、野球選手であれば大谷の実力と全力でチームに貢献する彼の性格を知っているからです。私たちが神に安心を抱くのもそれと同じです。今日は、「神は誰をどのように救うのか」というテーマで聖書に聞き、私たちの期待と平安が神にあることを確認します。

 

■本論

Ⅰ.主は契約に基づいて主に望みを持つ者を死から解放する(9:10-13)

 主なる神は神を恐れない国や民族をご自身が滅ぼすこと、そして平和の王によって神の国が建てられることをゼカリヤに宣告しました。その上で主は、神の民について語ります。

 

 11節「あなたとの契約の血のゆえに」とあるように、モーセはいけにえの血を振りかけて、神とイスラエルの民とが契約を結んでいること、すなわち「従えば祝福、背けばわざわい」となることを示しました。ですので、主が「あなた」と呼んでいるのは契約を結んだイスラエルの民となります。ただし、「あなたの捕らわれ人」「砦に帰れ」と付け加えていることから、ここでは、捕囚からエルサレム戻ってきていないイスラエルの民を主は取り上げています。

 

 主は契約のゆえに彼らを「水のない穴から解き放ち(11節)」ます。「水のない穴」とは監禁するための空井戸ですから、主は監禁から解放し彼らを自由にします。もっと広く言えば、死からいのちに開放するのです。それで解放された者たちは砦である神のおられるエルサレムに戻れるのです。

 

 ただし、だれでも死からいのちに開放されて、神の国に戻れるのではありません。「望みを持つ捕らわれ人(12節)」とあるように、主は「主を信頼して、主が助けてくださると期待する者」言い換えれば、疑いない信仰を持つ者を死から解放するのです。

 

 さらに主は「二倍のものをあなたに返す(12節)」と彼らに告げます。「二倍のもの」とは数や量ではなく、ちょうど振り子が反対側へ触れるように、わざわいから祝福に変わる様子を言います。「捕らわれ人」の父祖たちは背き続けたゆえに主から怒りのわざわいを受けました。しかし今や、その怒りは終わり、主を信頼する者を主は祝福するのです。「返す」が「戻る」とも訳せるように、主は契約に基づいて「背いたゆえのわざわい」から「従うゆえの祝福」に戻すのです。すでに語られているように、これまで断食の日は背きの罰を記念し悲しむ日でしたけれども、主の怒りがすでに終わった今は、祝福を記念する喜びの日になるのです。

 

 ここで主は「水のない穴からの解放」すなわち「死からいのちへの解放」がどのようになされるのかを語ります。13節「ユダ/エフライム」は地域と言うよりも、「シオン」と呼ぶようにイスラエルの民すべてを指しています。「弓として引き絞る/(矢を)つがえる/勇士の剣のようにする」とあるように、主は全イスラエルを強力な武器のように奮い立たせて、敵「ヤワン」に立ち向かわせます。「ヤワン」は本来ギリシア人を指す言葉ですが、ゼカリヤ書の文脈からするとギリシアをはじめとする敵国と解釈するのがふさわしいでしょう。

 

 これまでイスラエルは強大な敵国になす術がなく、抗う気持ちも失せていました。しかし、「契約の血のゆえに水のない穴から解き放つ/二倍のものをあなたに返す」という主の約束によって彼らは力づけられるのです。主の計り知れない力と契約を必ず守る誠実さを信じているからこそ、力が湧いてくるのです。

 

 現代の私たちも、かつては罪ゆえの滅びに捕らわれていました。しかし、神は「従えば祝福、背けばわざわい」の契約に基づいて、「イエスを信じる信仰による祝福」をくださいます。この祝福こそが滅びからの解放であり、天の御国での永遠のいのちです。イスラエルの歴史、イエスの人生そしてイエスの死と復活と昇天、このことを通して私たちは神の偉大な力を知り、契約を必ず守るお方であることを知ります。それゆえ、私たちは神からの安心に包まれながら、この地上を歩めるのです。

 

Ⅱ.主はご自身の働きによって敵から望みを持つ者を救い、彼らに繁栄をもたらす(9:14-17)

 続けて主は、ご自身がどのように祝福するのかを具体的に語ります(14-15節)。「角笛」は主がこの地上に現れることを表しています。主によって奮い立ったイスラエルは、主を恐れない敵国と戦いますが、そこに主の働きがなされるのです。「その矢は稲妻のように放たれる/南の暴風の中を進まれる」とあるように、主は何ものをも圧倒する力で敵を滅ぼします。イスラエルの敵はほとんど北から攻めて来るので、南からの暴風のように主は敵を蹴散らします。

 

 その結果、万軍の主の守りの中で万軍の主の力によって、イスラエルは「石投げの石で滅ぼし、踏みつける(15節)」ごとく敵を滅ぼします。「鉢のように、祭壇の四隅のように、満たされる」というのは、聖所での儀式において、いけにえの血が祭壇の四隅の土台に十分注げるほど鉢に満たされている様子です。つまり、「敵の血をぶどう酒のように飲み、沸き返る」とたとえられているように、イスラエルは敵の大軍に大勝利し、大騒ぎするほど歓喜に酔いしれるのです。主は不思議な仕方で、主に望みを持つ捕らわれ人を敵から解放し、神の国に帰らせるます。

 

 それゆえ、主はご自身の民をこのように言います(16節)。主は羊飼いのようにご自身の民を救います。かつて主は彼らの父祖たちを救うのではなく、わざわいを与えました。しかし今や主はご自身に望みを持つ者を敵から救います。まさに二倍のものを返します。それで、王冠にはめ込まれている宝石がきらめくごとく、神の民はこの地上できらめくのです。

 

 ただし、きらめくというのは誰かが見て「きらきら輝いている」と思うものです。そのことを主はすでにこう語っています。「万軍の【主】はこう言われる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、一人のユダヤ人の裾を固くつかんで言う。『私たちもあなたがたと一緒に行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたから。』」(8:23)」すべての異邦人は、主の民が主の祝福を受けているので、彼らがきらきら輝いていると見ます。それで彼らは自分も神とともに生きて神の祝福を受けたいと、主の民に訴えるのです。かつて、神の民イスラエルは敵国に滅ぼされ、捕らわれてゆきました。それで異邦人たちは「神からのろわれた民」と彼らを蔑みました。しかし今や神の民はきらめいてあこがれの民となるのです。いわば、主の日は大逆転の日なのです。

 

 ところで主の民がきらめくのは敵に勝利しただけではありません。17節「穀物/新しいぶどう酒」は実りの豊かな様ですので繁栄を意味します。また、「若い男/若い女」は人口の豊かさを表しています。つまり、主は敵だけでなく、経済的な苦しみからも救うのです(17節)。荒れ果てた国が主によってソロモン王の時のように、とてつもない繁栄となります。だから彼らはきらめいて見えるのです。

 

 かつてイスラエルは神の国にもかかわらず、神のわざわいとしてアッシリアやバビロニアといた大国から虐げらて滅ぼされました。神の国なのに神の助けがないために、あざけりや笑いの対象となりました。けれども主は契約に基づいて彼らを敵から解放して救い、繁栄をもたらします。あのダビデ王のときのように、平和の王によって再び神の国としてきらめくのです。しかも、そうなったのは彼らが何か良い行いをしたからではありません。ただ神を信じ期待した者を神は契約によって救うのです。これこそが神のあわれみだから、救われた者は「なんという主のいつくしみ。なんという主の麗しさ。(17節)」と主をほめたたえるのです。

 

■おわりに

 かつて私たちは罪の虜となっていて、善と悪の判断を誤ったり、時には自らの意志で悪に進む者でした。そのため本来は「背けばわざわい」すなわち永遠の滅びに定められていました。ところが、イエスを救い主と信じる信仰によって神を信頼し期待する私たちを、神は「従えば祝福」すなわち罪の虜から解放し、滅びから永遠のいのちに救ってくださいました。今や私たちは私たちの故郷、私たちの砦である聖なる都、天の御国の都、新しいエルサレム(黙示録21:2)に戻れるのです。まさに神は二倍のものを返してくださいます。

 

 しかも私たちが信仰を持つのも、イエスが私たちの代わりに犠牲になったのも、神のあわれみによります。私たちが何か良い行いをしたから与えられたのではありません。ですから私たちは「なんという主のいつくしみ。なんという主の麗しさ。」といつも神をほめたたえるのです。そして、天の御国という希望と神がともにいるという安心によって、この地上できらめく存在となるのです。

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