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木村太

7月24日「人は自分の時を知らない」(伝道者の書9章1-18節)

■はじめに

 私たちには思いも寄らない出来事が突然やって来て、思いも寄らない人生になることがあります。自然災害や戦争はその代表であり、現代で言えば新型コロナウィルスもその一つでしょう。聖書を見ると、イエスの弟子ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネはイエスと出会った直後に家業の漁師をやめて、弟子となりイエスについて行きました。人は次の瞬間に何が起きるのかもわからないのです。今日は、先のわからない中で私たちはどう生きるのかを、みことばに聞きます。


■本論

Ⅰ.人は生きているからこそ神と関わり、神に頼ることができ、神の恵みを喜べる(9:1-10)

 伝道者は、「人は神のわざをすべて知り得ない」という真実に気づきました。「人にはわからない神の領域がある」これを人はわきまえなければなりません。ここで彼は知り得ないことの一つである未来について語ります。


 「神の御手の中にある」とあるように、神はいつでもどこでも人の体と心に手を出せます(1節)。ですから、知恵を用いてものごとを見抜き、将来を見通せても、次の瞬間に神のなすことが「愛」すなわち自分にとって喜ばしいことなのか、「憎しみ」すなわち悪いことなのか、人は知り得ません。


 しかも、「すべてのことは、すべての人に同じように起こる。(2節)」とあるように、その人にとって良いことも悪いこともすべての人に起こりうるのです。ですから「正しい人、善人、きよい人、いけにえを献げる人、誓う者」といった神を畏れる者にも悪いことがあるし、「悪しき者、汚れた人、いけにえを献げない人、罪人、誓うのを恐れる者」といった神を畏れない者にも良いことがあります。だからクリスチャンであってもコロナに感染するし、教会だけが災害を免れることはありません。


 ここで伝道者は「同じように起こる」中で最も悪いのは死と見ています(3節)。「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。(3:2)」のごとく、神の前にどれほど正しく生きていても死はやってきます。しかも、「心に悪が満ち/心に狂気があり」のように、「どうせ死ぬのだから悪をしよう」という思いが人を襲います。人はだれでも、死がもたらす自暴自棄の誘惑を受けるのです。


 それゆえ伝道者は自暴自棄にならない生き方を勧めます(4節)。「生ける者すべてのうちに数えられている者(4節)」とあるように、生きている人は全員神に知られています。だから、生きている人には神という「拠り所」があるのです。獅子は犬よりもはるかに威厳や強さがありますが、死んでしまえばそれは消えます。生きているからこそ、その存在が知られるのです。


 なぜ生きている者は神を拠り所とできるのか、それを伝道者はこう説明します(5-6節)。「愛も憎しみも、ねたみもすでに消え失せ(6節)」とあるように死んだ者には一切の活動はありません。それゆえ、神にとって善でも悪でもないから何の報いもなく、永遠に神から受ける分はありません。つまり、「呼び名さえも忘れられる(5節)」とあるように、死んだ者は神との関わりが一切断たれているのです(詩篇88:5)。だから、人は生きているからこそ神と関われるのです。生きているからこそ神に頼ることができ、それに神が応えてくださるのです。


 それで伝道者は神からのものを楽しむように勧めるのです。7節では楽しみ、8節では必需品、9節では伴侶が神からのものとしています。人は生きているからこそ神との関係を味わえます。これが心の拠り所となり希望となるのです。ただし伝道者は神からのものは「日の下でする労苦から受けるあなたの分」と言い、その労苦についてこう語っています(10節)。


 「あなたの手がなし得ると分かったことはすべて、自分の力でそれをせよ。(10節)」とは、人にはその人の能力でできることがあるからそれをしなさい、ということです。神はすべての人に色んな能力を授けました。しかし、「よみには、わざも道理も知識も知恵もないからだ。」とあるように、死んだ後にその能力を使うことはできません。「生きているうちにその能力を用いて活動する」これが人の労苦であり、その労苦を神は喜びます。生きている人には全員神からの役割があるのです。


 人はだれでも未来のことを知りたがります。でも神はわからなくていい、としています。なぜなら、生きている者は神と関わっているから神という拠り所があるからです。しかも、能力をはじめ生きるために必要なものを与えてくださっています。「信頼できる方がいる」ことを知っているのが私たちの知恵であり幸いです。


Ⅱ.人にとって大事なのは「いつ何が起きるのかを知る」ことではなく、神の知恵を用いて今を生きることである(9:11-18)

 伝道者はさらに人に起きる出来事について語ります。先ほどは人生で何が起きるのかを観察しましたが、ここでは因果関係に焦点を当てています。「足が速くても競争に勝てない時がある/強い者でも戦いに勝てないときがある/賢くても食事にありつけない時がある/ものごとを見通す力があっても裕福でないときがあある/知識があっても好意を持たれないときがある(11節)」これは「当然そうなる」と予想できても、そうならないときがあるという、いわゆる不条理の事例です。つまり、世の中ではだれでも不条理に出くわすのです。しかも12節にあるように、それがいつどんな風に来るのか人はわからないから、鳥や魚が罠から逃げられないように、人は不条理を避けられません。ですから業績とか評判のように結果にこだわるのではなくて、「自分の能力を用いてできることをする」これが肝心なのです。


 ここで伝道者は不条理の実例を示します(14-15節)。ある王が強大な兵力を携えて住人の少ない小さな町にやって来ました。王は町の周りに土塁を築いて町を攻め取ろうとします。わずかな住人ではなすすべがありません。けれども、一人の貧しい男が知恵を絞って王を退かせました。おそらく王が自らの判断で退くように何らかの交渉をしたのでしょう。イエスもパリサイ人や律法学者との問答では、ことば一つでピンチを脱しています。「知恵は力にまさる(16節)」のです。


 ところが、絶体絶命を救ったにもかかわらず、人々は彼に栄誉や褒美も与えませんでした。そればかりか何事もなかったかのように彼の偉業は忘れ去られました。彼の貧しさが不条理につながったのです。当時のユダヤ人の思想では「富は祝福、貧困はわざわいの象徴」でしたので、たとえ良い人物であったとしても貧しい者は軽んじられたのです。この世では「当然のことがなされない」という不条理があることを人はわきまえておかなければなりません。


 この出来事を含めて、伝道者はこの世についてこう締めくくります(17-18節)。伝道者は人による不条理について何も触れていません。「なくす方法やそういう目に会わないやり方」を示さず、ただ「それがこの世だ」と受け止めています。それよりも大事なのは、先ほどの貧しい知恵者のように、知恵は武器をはじめとする目に見える力(権力、武力、財力)にまさるということです(18節)。「ペンは剣よりも強し」ということわざがあるように、先が見えなくても不条理な結果になったとしても、神からの知恵を用いることが人のなすべきことなのです。


 ただし、知恵を働かせても気を抜いてはなりません。「一人の罪人は多くの良いことを打ち壊す。(18

節)」とあるように、たった一人の悪が知恵によって築いてきたものを台無しにしてしまうからです。ヨシュア記を見ると、武力ではなく知恵によってエリコを陥落しましたが、アカンの背きによって次の戦いは大敗しました。知恵を働かせつつ、知恵によって世の中の本質を見抜くことも大事です。


■おわりに

 私たちの人生においては将来何があるのかわかりません。極端な例ですが、命が今晩終わるかもしれないし、今抱えている問題が1時間後に解決するかもしれないのです。その上、予想通りにならないことがあるのも事実です。いつも通りやっていてもいつも通りにならないときもあるのです。


 さらに、他者と同じことをやっても同じ評価とならない不条理もこの世にはあります。性別や血筋、地位、国籍などでふさわしい評価を得られないときもあります。そればかりか、不正を指摘したために不利益を被る事例もあります。伝道者の書を読んでいると「生きるのは辛い」と思わされます。


 しかし、「生ける者すべてのうちに数えられている者には。(9:4)」とあるように、神は私たちのすべてを見ておられます。また、「神はすでに、あなたのわざを喜んでおられる。(9:7)」とあるように、人から正しく評価されなくても、神は正しく評価してくださいます。私たちにはイエスを通して神という拠り所があるのです。だから神に安心を求め、神に知恵を求めて、この世を生きることができるのです。

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