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木村太

9月19日 召天者記念礼拝 「神の民に加えられる」(創世記49章29-33節)

■はじめに

 毎年、召天者記念礼拝では、復活や天の御国に関わる聖書箇所から説教をしています。今回は埋葬についての説教です。日本のほとんどの教会には教会が所有する墓があります。私たちの教会も清住霊園に三笠キリスト教会の墓を持っています。教会の墓は一般の墓と大きな違いがあります。普通のお墓は「○○家の墓/先祖代々の墓」のように、そこに入っている方々は家族や一族です。一方、教会の墓では教会のメンバーというつながりはあるものの、血のつながりはありません。今日は、キリスト教において墓に埋葬するとはどういうことなのかを聖書に聞きます。


Ⅰ.ヤコブは父祖たちとともに葬られることで信仰を現し、一族とともにいるという安心を得る

 本題に入る前にヤコブの晩年について簡単にお話しします。カナンが大飢饉になったとき、エジプトで首相となっていたヤコブの子ヨセフは父とその家族をエジプトに呼び寄せました。そしてエジプトに来てから17年が経ち、ヤコブはいよいよ自分の死が近いことを知ります。そこで彼は自分の息子たちに遺言を残します。彼は遺言として2つのことがらを伝えました。一つは12人の子たちへの祝福、もう一つが埋葬です。ただし、埋葬についてはすでにヨセフにお願いしていますから(47:28-31)、これが2度目です。このことから埋葬への強い願いがあることが分かります。


 では埋葬の遺言について見てゆきましょう(29節)。ヤコブから息子たちへの遺言は単なるお願いではありません。当時の習慣では父から子への命令は絶対ですので、子どもたちは必ず果たさなければなりません。ですからヤコブは何としてでもこの墓に葬られたいのです。


 ここでヤコブはこの墓について詳しく語ります(30-31節)。ヤコブは墓の場所、墓を作った経緯、そこに葬られている人のことを伝えました。彼は兄エサウと一緒に父イサクをこの墓に埋葬しましたので、墓のことはよく知っています(35:28-29)。しかし、子供たちはわかっていなかったから、墓について詳しく伝えたのでしょう。


①場所…カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地。この当時、どこかに行くには地名と土地の所有者が頼りなので、詳しく伝えています。

②作った経緯(創世記23章)…「エフロンから墓地のために買い取った」という経緯を明らかにすることで、正当な所有を証明しています。アブラハムが初めて買い取った土地は妻のための墓地でした。

③埋葬されている人…ヤコブの祖父母、両親、妻レア(6部族の母)。ただし、ヤコブが愛した妻ラケルはここに埋葬されていません。彼女は父ラバンの所からイサクの所に帰る途中、ベニヤミンを産んだ直後に死にました。ヤコブはベツレヘムへの道で墓をこしらえて妻を葬りました。旅の途中で急死したときには高温などの理由で遺体を運べないので、その近くに葬らざるを得なかったのです。


 ヤコブは墓の説明を終えて、念を押すかのようにもう一度ほら穴について語り(32節)、そして死を迎えます(33節)。ヤコブは息子たちに言うべきことを残すところなく、完全に命じてから175歳の生涯をエジプトの地で閉じました。


 ヤコブの遺言を見ると「エフロンの畑地の洞穴」ということばが繰り返されています。なぜヤコブはこのほら穴に葬られることをこれほどまでに願うのでしょうか。29節「加えられる」は「集められる」を意味しますから、「自分は遠いエジプトにいるけれども、父たちの所に集まりたい」というヤコブの気持ちがこれに込められています。ですから「父たちの所に集まる」手段が、ヒッタイト人エフロンの畑地にある洞穴の墓に埋葬されることなのです。なぜなら、たとえ遺体であっても父祖たちと一緒にあることが、ヤコブの安心になるのです。「父祖たちと一緒にある」ことは2つの安心を与えます。


①「契約の民」という安心

 神はアブラハムに「あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福する」と約束をしました。これによってアブラハムの子孫は、天地万物を創造した神との契約の民すなわち神の民になりました。その後、神はヤコブにも現れてこう告げました。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。(26:24)」


 つまり、祖父アブラハム、父イサクとともに葬られるのは、ヤコブが契約の民であることを目に見える形で現しているのです。と同時に、ヤコブが神の民であるのも明らかにしています。(日本でも同じ宗派に属していることを示している)ヨセフがヤコブのためにエジプトで立派な墓を建てても、ヤコブには意味がありません。契約の民すなわち神とつながっていることが、彼の安心であり、喜びなのです。


②自分の民と共にいるという安心

 当時のヘブル人たちにとって、死んだ後の世界ははっきりしてはいないけれども、死んだら終わりという思想ではなかったようです。ですので父祖の墓に入るのは、一族と共にいられるという安心がありました。興味深いことに日本人にもこれと同じような思想があります。例えば、墓に向かって「おじいちゃん、おばあちゃん二人で幸せに暮らしてね」とか「私は誰々の墓に入りたい」と言う人がいますね。「死後に思いをはせるのは人間だけ」とある学者が言っていました。ヤコブにとって父祖の墓に入ることは祖父母や両親と一緒にいるという安心を、目に見える形で保証しているのです。


 アブラハムが作った墓に一族と共に埋葬されるのを絶対に果たして欲しい、とヤコブが命じたのは、自分が神と契約した神の民である証拠を残しておくため、そしてアブラハム一族の一員である証拠を残すためだったのです。そしてそのことが死に行く自分への大きな安心となるからです。


Ⅱ.私たちは地上とは全く異なる天の御国で神の家族とともに生きるから、安心がある

 では、キリストを信じる者をキリスト教式で葬儀をしたり、教会の墓に納骨するのは、何を意味しているのでしょうか。それはヤコブと同じように、信仰と神の家族であることを目に見える形で現すためなのです。ただし、ヤコブたちと決定的に異なるものがあります。彼らにとって死後の世界はあやふやで曖昧なものでした。しかし、私たちには「クリスチャンは天の御国で神の家族と共に永遠に生きる」という事実があります。これはイエス・キリストによってはっきりと約束され、そして実現しています。


 さらに、新しく生きる世界は、この世界とは全く違うことが聖書に記されています。パウロが言うように、私たちはよみがえりのイエスと同じ朽ちないからだとなり天の御国で生きます。また黙示録に「以前のものがもはや過ぎ去った」とあるように、天では罪がもたらす苦しみや悲しみもありません。天の御国は安らぎと喜びに満ちているのです。つまり、死んだ後の世界を私たちは知っているから、死は恐怖ではなくなり、死を迎えても平安でいられるのです。


 亡骸を丁寧に扱って葬るという行為はその人を人として大事にしている証拠です。もし、そのまま放置したり穴に埋めるとしたら、それは人ではなく動物のように見なすことであり、侮辱していることになります。これは日本やユダヤ民族だけでなく全世界で見られる思想です。だから戦争や災害で亡くなった方の遺骨をそのままにせず、なにがしかの方法によって葬るのです。


 ですから教会での葬儀や埋葬は故人を大切にしている証しに加えて信仰と神の家族を証ししているのです。と同時に「天の御国で神の家族とともに安らかに生きている」その確信を私たちに与えているのです。葬儀や埋葬はこの世との別れを現す悲しみの象徴でもありますが、天の御国での再会を現す望みの象徴でもあるのです。


■おわりに

 人は死で終わりではありません。その先があります。この世という荒波に翻弄されても、天の御国という穏やかな港に入ることができます。これこそが神からのすばらしい恵みなのです。教会の墓はそのことを私たちに教えてくれます。


 同時に、私たちの人生と信仰が召された方々の上に成り立っていることも明らかにしています。ヤコブがアブラハム一族の墓を望んだように、天におられる方々の命と信仰によって、こうして私たちは生き、そしてこうしてキリストを信じることができているのです。納棺式や葬儀式、納骨式、そして今日の記念礼拝、墓前礼拝など葬りに関わるすべての集会は命と信仰のつながりを目に見える形で現しているのです。

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